2013年 05月 11日
2012年GW後半 東北紀行 |
2013年じゃなくて2012年、すなわち昨年のGWの話です。
何を今さら・・・な感じですが、この旅の話はやはり書いとかないと、ということで。
10年ほど前から、もう何度も訪れている東北ですが、今回は震災後初めての訪問ということもあり、盛岡から三陸方面をメインに回ってみました。
GW後半初日の激混み東北道をヒイコラ言いながら北上、朝6時に出発して盛岡に着いたのは夜9時。民族大移動を実感しつつ、前回来たときに大変気に入った、とても雰囲気の良い居酒屋へ。
囲炉裏を囲むような造りの落ち着いた店で岩手の郷土料理に舌鼓。どぶろくもあるでよ。そして締めは盛岡名物じゃじゃ麺で。
至福。
翌日は前日に引き続き朝から雨。雨の中、有名な「石割桜」を見に行く。
南部藩の家老屋敷の庭の大岩の間から芽生え、岩を割るように成長した「石割桜」。
何度も見ているけれど、花が咲いているところは初めてだったので大いに感動した。
毎回思うのだが、盛岡というところは、こじんまりとした城下町の風情が濃厚に漂う本当に良い街だ。
もしどこか移住するなら、候補筆頭に上げたいくらい好きな街。
いつまででもぶらぶら歩いていたくなる。
とはいえ今回の目的は三陸。というわけで盛岡を早々に切り上げ、まずは日本3大鍾乳洞である「龍泉洞」へ。
途中、早坂峠というところの旧道を辿ってみたらこんな素敵な光景が。
旧道の下を通るトンネルをくぐってしまうと分からないこの風景。旧道最高!
早坂高原を後に再び龍泉洞を目指す。
沿道には、東北の遅い春が濃厚に満ちている。
そうこうするうちに龍泉洞に到着。
地下の鍾乳洞は、前日の大雨のせいか至るところで激しい漏水の嵐でびしょぬれ。
鍾乳洞自体は、秋芳洞のような複雑怪奇な鍾乳石の競演、というよりはむしろ地底湖の引きずり込まれるような青く深い水が売りな感じでした。
龍泉洞を後にし、途中の道沿いで見つけた南部煎餅の製造販売所にて大好物の南部煎餅を購入しつつ、一路三陸沿岸へ。
宮古の北、永久要塞のごとき巨大な防波堤が震災でもろくも破壊され、大きな被害を受けた田老町から宮古へ南下。沿道には未だに震災の大きな爪痕が残されたままで、その余りに悲惨な光景に衝撃を受け、写真を撮る気になれず。あれから1年以上経っているというのに、一体これはどういうことなのか?とやり場の無い怒りがこみ上げてくる。
そんな憂鬱な気持ちのまま宮古市内に入る。せっかくなので、名勝・浄土ヶ浜へ行ってみる。
白い砂浜と青い海に浮かぶ小島がまるで極楽浄土のよう、と謳われる美しい浄土ヶ浜。
・・・・・まあ、分かってたけどね。それにしても霧深すぎ。まさに五里霧中。
そんな中、この凛とした風情に癒された。
一心に海を見つめて何思う?
宮古市街にも津波の痕跡は生々しく残っている。
前回、震災の半年前に来たとき、観光客で賑わっていた港の道の駅は廃墟になっていた。沿道のガソリンスタンドは、波の力で薙ぎ倒されたタンクや柱がそのままの姿勢で横たわっていた。
首都圏では、毎日いくつものビルが取り壊され、日々新しいビルが建っているというのに、なぜここは1年も放置されたままなのか?正直、ここまで復興が進んでいないとは思っていなかった。
なんだか、日本という国が先進の文明国だと思えなくなってくる。
宮古からさらに南下、山田町~大槌町と海沿いを辿る。
ようやくその頃から気分も多少落ち着いてくる。
不謹慎かもしれないけど、この光景はやはり一度は自分の目で見ておくべきだではなかろうか。日本人として。そんな思いで数枚写真を撮る。
大槌町から一山越えると釜石の町。
新日鐵社員の息子である私にとって、ここは何となく親しみを感じる町である。
震災前に訪れた時、賑わっていた中心街は一面の廃墟と化していた。
おみやげを買ったお魚センターも大きな被害を受けたようだが、今はそこが復興の拠点のようになっていて、至るところに明るい人々の笑顔が溢れ、その光景にようやく気分が少し落ち着いた。
日も暮れたので、飛び込みで宿を探し(我が家の旅はだいたいいつもそんな感じ)てみたものの、数少ないホテルや旅館はどこも満室。ようやく見つけたのは民宿風の旅館。畳が傾いていて寝にくかったけど、それはそれで趣あって良し。
素泊まりだったので、宿の人に教えてもらった「のん兵衛横丁」といういわゆる復興市場へ行ってみる。
多くの店がプレハブ長屋に軒を連ねるその一帯は活気に溢れていた。そんな中の一軒、なんとなく雰囲気の良さそうな寿司屋に恐る恐る飛び込んでみる。
これが大当たり!もともと中心街で営業していた地元では有名な店のようで、おまかせコースで出てきた料理はどれも絶品でした。
大将は津波で跡取り息子を亡くされ、店の再開など考えられない失意の日々を過ごされていたそうなのだが、ある日、店で使っていた立派な一枚板のカウンターの板が遠く離れた場所で見つかったそうで、それを「息子が俺に"もう一度やってくれ”と言っているんだ」と感じ、再開を決意されたそう。
そんな話を訥々と語る店主と、それをやさしく見守る女将さん。周りの地元のお客さんも、多かれ少なかれいろいろなものを震災で失った人たちばかりなんだけど、悲壮感は全く無く、明るく元気に飲んで食べて話に花を咲かせている。そんな人たちを見ていると、ちょこっとやってきてチラっと見ただけの俺が何を落ち込んでいるんだ?おこがましいだろ!と思ってしまう。
東北の人は、やっぱりすごい。なんだかとても温かい気持ちになれた寿司屋のひと時でした。
翌日は更に海岸線を南下。
天気はようやく晴れ間が見えてきた。
大船渡、陸前高田と被災地を巡り、気仙沼に到着。
昼飯を食える場所を探して市街をうろついていると、こんな光景に遭遇。
気仙沼も、傍目には全く復興が進んでいるように見えない。この現状に、東北の人たちはもっと怒っていいと思う。
でも、そこで声を荒げず、粛々と、辛抱強く地道にがんばっていくのが東北人なんだろうな。つくづく凄い人たちだと思う。
そんなこんなでようやく見つけた復興市場で海鮮丼。
美味しかったけど、注文してから出てくるまでほぼ1時間。これには参ったぜ。
「文句言うなら食うな!」 「ギャー!やられた・・・」
更に南下し南三陸町。
北上川を辿って石巻。巨大な缶詰のオブジェが倒れている。
夕暮れの松島。空には満月。
松島からは高速に乗って仙台へ。そのまま東北道に入り一気に帰宅。
いろんな意味で良い旅であった。
何を今さら・・・な感じですが、この旅の話はやはり書いとかないと、ということで。
10年ほど前から、もう何度も訪れている東北ですが、今回は震災後初めての訪問ということもあり、盛岡から三陸方面をメインに回ってみました。
GW後半初日の激混み東北道をヒイコラ言いながら北上、朝6時に出発して盛岡に着いたのは夜9時。民族大移動を実感しつつ、前回来たときに大変気に入った、とても雰囲気の良い居酒屋へ。
囲炉裏を囲むような造りの落ち着いた店で岩手の郷土料理に舌鼓。どぶろくもあるでよ。そして締めは盛岡名物じゃじゃ麺で。
至福。
翌日は前日に引き続き朝から雨。雨の中、有名な「石割桜」を見に行く。
南部藩の家老屋敷の庭の大岩の間から芽生え、岩を割るように成長した「石割桜」。
何度も見ているけれど、花が咲いているところは初めてだったので大いに感動した。
毎回思うのだが、盛岡というところは、こじんまりとした城下町の風情が濃厚に漂う本当に良い街だ。
もしどこか移住するなら、候補筆頭に上げたいくらい好きな街。
いつまででもぶらぶら歩いていたくなる。
とはいえ今回の目的は三陸。というわけで盛岡を早々に切り上げ、まずは日本3大鍾乳洞である「龍泉洞」へ。
途中、早坂峠というところの旧道を辿ってみたらこんな素敵な光景が。
旧道の下を通るトンネルをくぐってしまうと分からないこの風景。旧道最高!
早坂高原を後に再び龍泉洞を目指す。
沿道には、東北の遅い春が濃厚に満ちている。
そうこうするうちに龍泉洞に到着。
地下の鍾乳洞は、前日の大雨のせいか至るところで激しい漏水の嵐でびしょぬれ。
鍾乳洞自体は、秋芳洞のような複雑怪奇な鍾乳石の競演、というよりはむしろ地底湖の引きずり込まれるような青く深い水が売りな感じでした。
龍泉洞を後にし、途中の道沿いで見つけた南部煎餅の製造販売所にて大好物の南部煎餅を購入しつつ、一路三陸沿岸へ。
宮古の北、永久要塞のごとき巨大な防波堤が震災でもろくも破壊され、大きな被害を受けた田老町から宮古へ南下。沿道には未だに震災の大きな爪痕が残されたままで、その余りに悲惨な光景に衝撃を受け、写真を撮る気になれず。あれから1年以上経っているというのに、一体これはどういうことなのか?とやり場の無い怒りがこみ上げてくる。
そんな憂鬱な気持ちのまま宮古市内に入る。せっかくなので、名勝・浄土ヶ浜へ行ってみる。
白い砂浜と青い海に浮かぶ小島がまるで極楽浄土のよう、と謳われる美しい浄土ヶ浜。
・・・・・まあ、分かってたけどね。それにしても霧深すぎ。まさに五里霧中。
そんな中、この凛とした風情に癒された。
一心に海を見つめて何思う?
宮古市街にも津波の痕跡は生々しく残っている。
前回、震災の半年前に来たとき、観光客で賑わっていた港の道の駅は廃墟になっていた。沿道のガソリンスタンドは、波の力で薙ぎ倒されたタンクや柱がそのままの姿勢で横たわっていた。
首都圏では、毎日いくつものビルが取り壊され、日々新しいビルが建っているというのに、なぜここは1年も放置されたままなのか?正直、ここまで復興が進んでいないとは思っていなかった。
なんだか、日本という国が先進の文明国だと思えなくなってくる。
宮古からさらに南下、山田町~大槌町と海沿いを辿る。
ようやくその頃から気分も多少落ち着いてくる。
不謹慎かもしれないけど、この光景はやはり一度は自分の目で見ておくべきだではなかろうか。日本人として。そんな思いで数枚写真を撮る。
大槌町から一山越えると釜石の町。
新日鐵社員の息子である私にとって、ここは何となく親しみを感じる町である。
震災前に訪れた時、賑わっていた中心街は一面の廃墟と化していた。
おみやげを買ったお魚センターも大きな被害を受けたようだが、今はそこが復興の拠点のようになっていて、至るところに明るい人々の笑顔が溢れ、その光景にようやく気分が少し落ち着いた。
日も暮れたので、飛び込みで宿を探し(我が家の旅はだいたいいつもそんな感じ)てみたものの、数少ないホテルや旅館はどこも満室。ようやく見つけたのは民宿風の旅館。畳が傾いていて寝にくかったけど、それはそれで趣あって良し。
素泊まりだったので、宿の人に教えてもらった「のん兵衛横丁」といういわゆる復興市場へ行ってみる。
多くの店がプレハブ長屋に軒を連ねるその一帯は活気に溢れていた。そんな中の一軒、なんとなく雰囲気の良さそうな寿司屋に恐る恐る飛び込んでみる。
これが大当たり!もともと中心街で営業していた地元では有名な店のようで、おまかせコースで出てきた料理はどれも絶品でした。
大将は津波で跡取り息子を亡くされ、店の再開など考えられない失意の日々を過ごされていたそうなのだが、ある日、店で使っていた立派な一枚板のカウンターの板が遠く離れた場所で見つかったそうで、それを「息子が俺に"もう一度やってくれ”と言っているんだ」と感じ、再開を決意されたそう。
そんな話を訥々と語る店主と、それをやさしく見守る女将さん。周りの地元のお客さんも、多かれ少なかれいろいろなものを震災で失った人たちばかりなんだけど、悲壮感は全く無く、明るく元気に飲んで食べて話に花を咲かせている。そんな人たちを見ていると、ちょこっとやってきてチラっと見ただけの俺が何を落ち込んでいるんだ?おこがましいだろ!と思ってしまう。
東北の人は、やっぱりすごい。なんだかとても温かい気持ちになれた寿司屋のひと時でした。
翌日は更に海岸線を南下。
天気はようやく晴れ間が見えてきた。
大船渡、陸前高田と被災地を巡り、気仙沼に到着。
昼飯を食える場所を探して市街をうろついていると、こんな光景に遭遇。
気仙沼も、傍目には全く復興が進んでいるように見えない。この現状に、東北の人たちはもっと怒っていいと思う。
でも、そこで声を荒げず、粛々と、辛抱強く地道にがんばっていくのが東北人なんだろうな。つくづく凄い人たちだと思う。
そんなこんなでようやく見つけた復興市場で海鮮丼。
美味しかったけど、注文してから出てくるまでほぼ1時間。これには参ったぜ。
「文句言うなら食うな!」 「ギャー!やられた・・・」
更に南下し南三陸町。
北上川を辿って石巻。巨大な缶詰のオブジェが倒れている。
夕暮れの松島。空には満月。
松島からは高速に乗って仙台へ。そのまま東北道に入り一気に帰宅。
いろんな意味で良い旅であった。
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by namifujisan
| 2013-05-11 16:22
| 旅