2009年 08月 17日
灼熱の西伊豆 玉虫との再会 |
13日、お盆の初日は久々に西伊豆方面へ日帰りドライブ。
今回、往路は最近ようやく一人で車の運転が出来るようになった妻に運転を任せます。
今までは横で見ていても非常に危なっかしい感じ満載でしたが、今回はそれほど怖い感じもなくいい感じ。
やはり「一人で運転出来るようになった」という自信は大きいようです。
東名を沼津まで一っ跳び、沼津市街で運転を交代して海岸線沿いにクネクネ道を進みます。
沼津~戸田間の海岸線は三津シーパラダイスを越えた辺りから一気に道幅が細くなり趣深くなります。
そんなクネクネ道をひたすら進み、戸田のすこし手前、井田の町を見下ろす展望台で休憩。
ガスっていなければ海原の向こうにかすかに富士山が見える絶景ポイントなのですが、今回は見えず残念。
と、ここでなんとも珍しい虫に遭遇。
玉虫です。
「玉虫色の発言」という言葉の語源にもなった非常に美しい虫で、その羽を集めて装飾品などに利用されたりしたことで数が激減、今や滅多に見られない虫になってしまいました。
法隆寺の宝物「玉虫厨子」なんていうのを歴史の時間に習いましたね。
この玉虫、私個人的には小学生の頃に一度だけ捕まえたことがあって、それ以来30年以上見たことがなかったのです。
そんなレアな虫に30年ぶりに出会えて超感激。かなり興奮してしまいました。
それにしてもこの玉虫、飛び方もヨロヨロと弱弱しく、手で簡単に捕まえることが出来るくらい非常におっとりとした虫。
乱獲されてしまった原因にはそんな性質も関係しているのかもしれません。
ちなみにこの玉虫君はこの後ちゃんと逃がしてあげましたよ。
玉虫に再会してテンション上がりまくりのまま、国道を逸れて恒例の小さな入り江巡り。
とある入り江にあった「いるか供養碑」。
側にあった説明書きによると、明治15年、この入り江に迷い込んで来たイルカ600頭あまりを漁民が捕獲し魚商人に売って当時のお金で1万円の大金を得、大いに潤った。
その後漁民たちは近くの寺の住職と相談のうえ、資金を出し合ってこの慰霊碑を建立、イルカの霊を慰めたとのこと。
日本人は昔からクジラやイルカを貴重な蛋白源として利用して来ました。
また、海岸に迷い込んできたり打ち上げられたりしたクジラは、今みたいに無理矢理沖へ戻すようなことはせず、「天からの恵み」としてありがたく捕獲し食べてきたのです。
そこには常に彼らへの畏怖と感謝と尊敬の念が強く存在し、骨や皮やヒゲの1本に至るまで無駄にはしなかった。
そんな繊細な心持を、油を取る為だけにクジラを虐殺し続け、今になって「クジラを殺すなんて野蛮」とのたまう西洋人にわかるかな~、わかんねえだろうなあ~(松鶴家千とせ風に)。
そんな思いを抱きつつ入り江を離れて一路松崎へ。
松崎では、前回2月に来たときに見つけた、小いけれど小奇麗で落ち着いた食堂で絶品の干物定食。
今回の干物はアジ、エボダイの開きにイワシの味醂干しの3種類。
ここの干物は、隣接する干物工場(というか小さな作業場)で作られた自家製なのですが、これがまたもう超絶的に美味。
帰りにエボダイの開きとカマスの味醂干しを1パックづつ購入し、持参したクーラーボックスに入れて持ち帰り。
エボダイ、カマスともに4尾入り1パックで各500円と非常にリーズナブル。嬉しいね。
アジやイワシは5~6尾で同じく500円とこれまたお得。素晴らしいね。
食後は以前から入ってみたかった鏝絵(左官職人による漆喰細工)の名工・入江長八の作品を展示した長八美術館へ。
想像以上に精緻で素晴らしい鏝絵の名品に圧倒されました。
その様子はまた別途。
時間もだいぶ押してきたので、松崎からサクっと仁科峠方面へ上って西伊豆スカイラインで戸田峠、修善寺の温泉街へ下りて、先日修善寺5時間耐久の後に立ち寄った公衆浴場で汗を流します。
途中の仁科峠は五里霧中。
西伊豆スカイラインは視界10mの濃霧と激しい強風でとても怖かった。
自転車だったら進退窮まってるかも。修善寺に下りてきた時はなんだか「助かった!」って感じでしたよ。
源頼家(鎌倉幕府2代将軍)が入浴中に刺客に襲われたという歴史ある湯(の跡に再建された公衆浴場)は素っ気無いけど趣があって非常によろし。
常連になりそうです。
その後は例のステーキ屋に寄って肉(私はハンバーグ)をガッツリ食べて(サラダ&果物も)満腹太郎で帰還。
途中、箱根峠の道の駅でしし座(?)流星群も見ましたよ。
家に帰ってから遅め(夜12時前)の迎え火を炊いて就寝。
なかなか充実した夏の一日でございました。
今回、往路は最近ようやく一人で車の運転が出来るようになった妻に運転を任せます。
今までは横で見ていても非常に危なっかしい感じ満載でしたが、今回はそれほど怖い感じもなくいい感じ。
やはり「一人で運転出来るようになった」という自信は大きいようです。
東名を沼津まで一っ跳び、沼津市街で運転を交代して海岸線沿いにクネクネ道を進みます。
沼津~戸田間の海岸線は三津シーパラダイスを越えた辺りから一気に道幅が細くなり趣深くなります。
そんなクネクネ道をひたすら進み、戸田のすこし手前、井田の町を見下ろす展望台で休憩。
ガスっていなければ海原の向こうにかすかに富士山が見える絶景ポイントなのですが、今回は見えず残念。
と、ここでなんとも珍しい虫に遭遇。
玉虫です。
「玉虫色の発言」という言葉の語源にもなった非常に美しい虫で、その羽を集めて装飾品などに利用されたりしたことで数が激減、今や滅多に見られない虫になってしまいました。
法隆寺の宝物「玉虫厨子」なんていうのを歴史の時間に習いましたね。
この玉虫、私個人的には小学生の頃に一度だけ捕まえたことがあって、それ以来30年以上見たことがなかったのです。
そんなレアな虫に30年ぶりに出会えて超感激。かなり興奮してしまいました。
それにしてもこの玉虫、飛び方もヨロヨロと弱弱しく、手で簡単に捕まえることが出来るくらい非常におっとりとした虫。
乱獲されてしまった原因にはそんな性質も関係しているのかもしれません。
ちなみにこの玉虫君はこの後ちゃんと逃がしてあげましたよ。
玉虫に再会してテンション上がりまくりのまま、国道を逸れて恒例の小さな入り江巡り。
とある入り江にあった「いるか供養碑」。
側にあった説明書きによると、明治15年、この入り江に迷い込んで来たイルカ600頭あまりを漁民が捕獲し魚商人に売って当時のお金で1万円の大金を得、大いに潤った。
その後漁民たちは近くの寺の住職と相談のうえ、資金を出し合ってこの慰霊碑を建立、イルカの霊を慰めたとのこと。
日本人は昔からクジラやイルカを貴重な蛋白源として利用して来ました。
また、海岸に迷い込んできたり打ち上げられたりしたクジラは、今みたいに無理矢理沖へ戻すようなことはせず、「天からの恵み」としてありがたく捕獲し食べてきたのです。
そこには常に彼らへの畏怖と感謝と尊敬の念が強く存在し、骨や皮やヒゲの1本に至るまで無駄にはしなかった。
そんな繊細な心持を、油を取る為だけにクジラを虐殺し続け、今になって「クジラを殺すなんて野蛮」とのたまう西洋人にわかるかな~、わかんねえだろうなあ~(松鶴家千とせ風に)。
そんな思いを抱きつつ入り江を離れて一路松崎へ。
松崎では、前回2月に来たときに見つけた、小いけれど小奇麗で落ち着いた食堂で絶品の干物定食。
今回の干物はアジ、エボダイの開きにイワシの味醂干しの3種類。
ここの干物は、隣接する干物工場(というか小さな作業場)で作られた自家製なのですが、これがまたもう超絶的に美味。
帰りにエボダイの開きとカマスの味醂干しを1パックづつ購入し、持参したクーラーボックスに入れて持ち帰り。
エボダイ、カマスともに4尾入り1パックで各500円と非常にリーズナブル。嬉しいね。
アジやイワシは5~6尾で同じく500円とこれまたお得。素晴らしいね。
食後は以前から入ってみたかった鏝絵(左官職人による漆喰細工)の名工・入江長八の作品を展示した長八美術館へ。
想像以上に精緻で素晴らしい鏝絵の名品に圧倒されました。
その様子はまた別途。
時間もだいぶ押してきたので、松崎からサクっと仁科峠方面へ上って西伊豆スカイラインで戸田峠、修善寺の温泉街へ下りて、先日修善寺5時間耐久の後に立ち寄った公衆浴場で汗を流します。
途中の仁科峠は五里霧中。
西伊豆スカイラインは視界10mの濃霧と激しい強風でとても怖かった。
自転車だったら進退窮まってるかも。修善寺に下りてきた時はなんだか「助かった!」って感じでしたよ。
源頼家(鎌倉幕府2代将軍)が入浴中に刺客に襲われたという歴史ある湯(の跡に再建された公衆浴場)は素っ気無いけど趣があって非常によろし。
常連になりそうです。
その後は例のステーキ屋に寄って肉(私はハンバーグ)をガッツリ食べて(サラダ&果物も)満腹太郎で帰還。
途中、箱根峠の道の駅でしし座(?)流星群も見ましたよ。
家に帰ってから遅め(夜12時前)の迎え火を炊いて就寝。
なかなか充実した夏の一日でございました。
by namifujisan
| 2009-08-17 19:59
| 旅