2009年 03月 12日
小田原ういろう |
先日の「勝手にブルベ箱根200km」で帰りに小田原の町で買ってきたのはこれでした。
小田原名物 ういろう です。ちなみにういろう自体は右端の2つの箱で、それ以外は全部由緒書とお品書き。
「ういろう」といえば名古屋が有名ですが、実はういろうというお菓子の元祖はこの小田原ういろうだったのです。
その辺の詳しい由来はこちらでどうぞ。
まあ、かいつまんで言うと、ういろうというのは元々中国の元王朝の頃に日本に亡命してきて、それ以降日本の朝廷に仕えていた「外郎さん」の家で作っていた薬の名前で、外郎家を訪れるお客さんにおもてなしのためのお茶菓子として作っていたものでした。
この外郎家が戦国時代の初めに小田原の北条氏に招かれて小田原に移り、以後500年近く小田原で薬とお菓子(ともに「外郎」という名前)の製造を行ってきたそうです。
外郎家の本家が小田原に移った後も京都には外郎家の分家が残り、室町幕府に仕えていましたが、室町幕府の滅亡とともに断絶してしまったそうです。
現在、名古屋を初めとして全国各地の名物となっているういろうは、この京都の外郎家で修行していた職人が京都外郎家の滅亡後に勝手に作り始めたものだとか。
その辺のいきさつは、ういろうを買った時にドッサリと同封されていた由緒書にいやというほど書かれていました。
ちなみに、このういろうを作っているのはその名もずばり「株式会社 ういろう」。外郎家の当主が代々社長を務めておられるそうです。
数年前には、小田原の外郎家が名古屋の青柳ういろうを相手に「ういろう」という名前の使用差し止めを求める訴訟を起こしたそうですが、結局「ういろうというのは既にお菓子の一般名称となっており使用差し止めは認められない」という判決だったようです。
まあ何はともあれ、大のういろう好きである私としてはこの本家にして元祖のういろうを一度は食べてみたいとかねがね思っていたのですが、何しろこのういろうは小田原市内の国道1号線という幹線道路沿いにあるお城のような作りの店(本社?)でしか売っておらず、車で通りかかってもなかなか入ることが出来ず結局今まで一度も食べたことがなかったのです。
で、ようやく今回夢が実現したわけです。
お味の方は、名古屋のういろうと比べるとやや硬目の歯ざわりで食べ応えがあってとっても美味しゅうございました。
また近所を通りかかったらぜひ買って帰りたいところです。
小田原名物 ういろう です。ちなみにういろう自体は右端の2つの箱で、それ以外は全部由緒書とお品書き。
「ういろう」といえば名古屋が有名ですが、実はういろうというお菓子の元祖はこの小田原ういろうだったのです。
その辺の詳しい由来はこちらでどうぞ。
まあ、かいつまんで言うと、ういろうというのは元々中国の元王朝の頃に日本に亡命してきて、それ以降日本の朝廷に仕えていた「外郎さん」の家で作っていた薬の名前で、外郎家を訪れるお客さんにおもてなしのためのお茶菓子として作っていたものでした。
この外郎家が戦国時代の初めに小田原の北条氏に招かれて小田原に移り、以後500年近く小田原で薬とお菓子(ともに「外郎」という名前)の製造を行ってきたそうです。
外郎家の本家が小田原に移った後も京都には外郎家の分家が残り、室町幕府に仕えていましたが、室町幕府の滅亡とともに断絶してしまったそうです。
現在、名古屋を初めとして全国各地の名物となっているういろうは、この京都の外郎家で修行していた職人が京都外郎家の滅亡後に勝手に作り始めたものだとか。
その辺のいきさつは、ういろうを買った時にドッサリと同封されていた由緒書にいやというほど書かれていました。
ちなみに、このういろうを作っているのはその名もずばり「株式会社 ういろう」。外郎家の当主が代々社長を務めておられるそうです。
数年前には、小田原の外郎家が名古屋の青柳ういろうを相手に「ういろう」という名前の使用差し止めを求める訴訟を起こしたそうですが、結局「ういろうというのは既にお菓子の一般名称となっており使用差し止めは認められない」という判決だったようです。
まあ何はともあれ、大のういろう好きである私としてはこの本家にして元祖のういろうを一度は食べてみたいとかねがね思っていたのですが、何しろこのういろうは小田原市内の国道1号線という幹線道路沿いにあるお城のような作りの店(本社?)でしか売っておらず、車で通りかかってもなかなか入ることが出来ず結局今まで一度も食べたことがなかったのです。
で、ようやく今回夢が実現したわけです。
お味の方は、名古屋のういろうと比べるとやや硬目の歯ざわりで食べ応えがあってとっても美味しゅうございました。
また近所を通りかかったらぜひ買って帰りたいところです。
by namifujisan
| 2009-03-12 13:20
| 食・酒