2012年 03月 03日
(今更ながら③) 熊野古道 大雲取越 |
いまさら更新シリーズ第三弾、昨年8月末の鈴鹿ロード終了後に行ってきた熊野古道(大雲取越)です。
熊野古道。なんとも旅心をくすぐられる響きですよね。
しかし、熊野古道がある紀伊半島は関東から行くには余りにも遠く、往復するだけでも相当な時間がかかる。
更に、そんな紀伊半島の中でも熊野古道がある地域は「陸の孤島」と言っても過言ではない場所なので、なかなか行く機会を得なかった。
しかし今回鈴鹿サーキットへ行くことになり、それに引っかけて待望の初熊野古道詣でとなりました。
熊野古道とヒトクチに言っても、その範囲は広大で、京・大阪方面を基点とし紀伊半島の海岸線を南下する「紀伊路」「大辺路」、紀伊田辺から内陸へ向う「中辺路」、高野山から南下する「小辺路」、吉野から南下する「大峯奥駈道」、伊勢神宮から南下する「伊勢路」と何種類もありその行程は長大。
それらすべての道は聖地「熊野本宮大社」へ向っており、要するに熊野本宮大社の参道なわけです。
そんな広大な古道の中でも、今回私が旅した「中辺路・大雲取越」は最もハードで過酷なルートと言われているそうです。
最初はもうちょっと易しいルートをちょこっと歩いて帰ってこようかとも思いましたが、せっかく行くならということでこのルートに決定。
道中には何やらおどろおどろしいいわく付きの場所もあるようで、非常にワクワクドキドキしながら紀勢線の鈍行列車に揺られて紀伊半島を南下。延々5時間かかってようやく目的地の那智勝浦に着いたのは既に夜の10時過ぎ。
かなり疲れたけど、鈍行ならではの醍醐味を十分味わえたので良しとする。
その日は勝浦駅前のちょっと小奇麗なホテルに投宿、翌日の朝食をめぐってかなりイヤな思いをさせられる事件などありつつも、とりあえずその夜はコンビニ弁当食べて早々に就寝。
朝の勝浦駅前。
駅前から6時過ぎに出るバスに乗り、1時間ほど揺られて大雲取越の基点である熊野那智大社に到着。
那智大社の隣には西国三十三箇所第一番札所である那智山 青岸渡寺(せいがんとじ)があり、毎年お盆には西国三十三番ご詠歌を上げる私としては非常に感動。しっかりお参りしていきます。
青岸渡寺からは、滝自体が御神体である那智の滝も遠望できる。
学生時代には滝のすぐ近くまで行きましたが、今回はパス。
寺のすぐ脇からいよいよ大雲取越のスタート。いきなり憧れの「苔むした石畳」が現れ感激!
道はほぼこんな感じの苔むした石畳基調で、時折土の地道が混じる。
近世になって開削された登山道やハイキングルートと違う、歴史を感じさせる雰囲気がとても良い。
今でこそ歩きにくく感じる石畳だけど、当時の人にしてみれば現代のハイウェイのような感覚だったんではないかな。
そんなことを考えつつ歩いていると、次第に雲が沸き起こり、涼しくなるとともになんとも幽玄な雰囲気が漂い始める。
苔に覆われた巨石が艶かしい。
時折現れるお地蔵さんたち。みんな優しい顔をしていて癒される。
一度小さなピークを越えて下り始める辺りは、昔から「亡者の出会い」と呼ばれている場所で、なんでもこの場所は死に別れた親兄弟や友人が白装束を着て前方から現れ、すれ違うというところだそうで、薄暗く霧雨に煙る中、そんな場所を一人で歩くのはかなり気味悪く、この世ならぬ者が現れるための舞台装置は全て整った感じ。
そんな中をしばらく歩いていると、前方から年配の夫婦(たぶん)が歩いてきてすれ違う。結局この山の中ですれ違ったのはこの夫婦だけでした。
白装束だったわけでもなく、この世ならぬ雰囲気を醸していたわけでもないけれど、余りにもタイムリーなその出現にはちょっとビックリした。
後で考えてみると、もしかして私の両親が姿を変えて現れたのかも・・・?
顔は全然似てなかったけど、もしそうだったらちょっとうれしいね。
それ以降も断続的に小さな峠が現れる石畳道をひたすら歩き続ける。
途中にあったゴジラの足のような構造の石畳。
なんとも趣のある橋桁。
道中、大昔からの人々の営みを感じさせる跡が色々あって飽きない。楽しい。
終盤、最大の峠である越前峠を越えると、このルート最大の難所と言われる「胴切坂」の下りに入る。
かなりの急傾斜が続く滑り易い石畳は、普通の登山道の数倍の歩き辛さで急速に体力を消耗する。膝の痛みも出始め、かなり辛くなってきたところでようやく胴切坂終了。
胴切坂を下りきるとようやく太陽が顔を出し、紀伊半島らしい湿気と暑さに見舞われ、更に体力が奪われる。
おまけにアブが多く、常にブーンと嫌な羽音に付きまとわれ鬱陶しいことこの上ない。しかも2箇所くらい刺されるし。次回はアブのいない季節に来よう。
いよいよ最終盤、熊野の神々が座って談笑した場所と言われる「円座(わろうだ)石」を過ぎると程なく小和瀬の里に出る。
この時点で昼を少し回ったところで、本当はもう一山「小雲取越」を越えて熊野本宮大社へ出たかったのだけれど、余りの暑さにやる気が失せ、ちょうどタイミング良くやってきたバスに飛び乗って本宮大社へ。
が、本宮大社の本殿は改修中で見られず。残念。
一旦山を下ると、田んぼの中に巨大な鳥居が。
ちなみに、鳥居の下に見える小さなツブツブのようなのが人です。
この鳥居は、明治時代に洪水で流されるまで本宮大社の社殿があった場所だそうで、その敷地跡に最近再建された大鳥居だそうで、近づいてみるとその巨大さに圧倒される。
旧社殿跡地に入ってみると、さきほど参拝してきた新社殿地よりも明らかに土地にパワーを感じる。
涼やかで、清潔で、体の奥から元気が沸いてくるような。早朝の三嶋大社で感じるあのパワーがヒシヒシと伝わってくる。
やはりこっちが本来社殿のあるべき場所なんだろう。
熊野本宮大社からは新宮行きのバスに乗り、熊野川沿いをひたすら南下。
最初は数人居た客も、すぐに近くで全員降りてしまいそこからは終点まで1時間以上ずっと乗客は私一人。
おかげで途中のバス停でちょっと待ってもらってジュース買ったり。
新宮の町の銭湯で汗を流し、名物さんま寿司を買い、
怪しげな雰囲気の徐福公園を探索したりしつつ、
新宮からは特急でピューっと駆け抜けて本日の宿泊地、伊勢市へ。街中の適当なビジネスホテルに投宿、就寝。
なぜ伊勢市かというと、もちろん伊勢神宮を参拝するため。
昨年に引き続き2回目の参拝。
お伊勢さんは3年続けて参らないとダメ、と言われているらしいけど、どうやら達成出来そうだ。
伊勢の町にあるとある店。
親近感。
参拝後は電車を乗り継ぎ名古屋へ。
名古屋と言えばやっぱり「蓬莱軒」!
本当は熱田神宮前の店に行きたかったけど、時間も無いので栄の高島屋に入ってる店舗で。
以前食べた熱田神宮前店の方がもっと美味しかった気がするけど、それでもやっぱり美味しい。
最後は満足満腹で新幹線に乗り、神々の世界から日常の世界に舞い戻り今回の旅は終了。
同時に私の短い夏休み(実質1日)も終了。この後、怒涛の残業&休日出勤地獄が2ヶ月に渡って続くのであった。
熊野古道。なんとも旅心をくすぐられる響きですよね。
しかし、熊野古道がある紀伊半島は関東から行くには余りにも遠く、往復するだけでも相当な時間がかかる。
更に、そんな紀伊半島の中でも熊野古道がある地域は「陸の孤島」と言っても過言ではない場所なので、なかなか行く機会を得なかった。
しかし今回鈴鹿サーキットへ行くことになり、それに引っかけて待望の初熊野古道詣でとなりました。
熊野古道とヒトクチに言っても、その範囲は広大で、京・大阪方面を基点とし紀伊半島の海岸線を南下する「紀伊路」「大辺路」、紀伊田辺から内陸へ向う「中辺路」、高野山から南下する「小辺路」、吉野から南下する「大峯奥駈道」、伊勢神宮から南下する「伊勢路」と何種類もありその行程は長大。
それらすべての道は聖地「熊野本宮大社」へ向っており、要するに熊野本宮大社の参道なわけです。
そんな広大な古道の中でも、今回私が旅した「中辺路・大雲取越」は最もハードで過酷なルートと言われているそうです。
最初はもうちょっと易しいルートをちょこっと歩いて帰ってこようかとも思いましたが、せっかく行くならということでこのルートに決定。
道中には何やらおどろおどろしいいわく付きの場所もあるようで、非常にワクワクドキドキしながら紀勢線の鈍行列車に揺られて紀伊半島を南下。延々5時間かかってようやく目的地の那智勝浦に着いたのは既に夜の10時過ぎ。
かなり疲れたけど、鈍行ならではの醍醐味を十分味わえたので良しとする。
その日は勝浦駅前のちょっと小奇麗なホテルに投宿、翌日の朝食をめぐってかなりイヤな思いをさせられる事件などありつつも、とりあえずその夜はコンビニ弁当食べて早々に就寝。
朝の勝浦駅前。
駅前から6時過ぎに出るバスに乗り、1時間ほど揺られて大雲取越の基点である熊野那智大社に到着。
那智大社の隣には西国三十三箇所第一番札所である那智山 青岸渡寺(せいがんとじ)があり、毎年お盆には西国三十三番ご詠歌を上げる私としては非常に感動。しっかりお参りしていきます。
青岸渡寺からは、滝自体が御神体である那智の滝も遠望できる。
学生時代には滝のすぐ近くまで行きましたが、今回はパス。
寺のすぐ脇からいよいよ大雲取越のスタート。いきなり憧れの「苔むした石畳」が現れ感激!
道はほぼこんな感じの苔むした石畳基調で、時折土の地道が混じる。
近世になって開削された登山道やハイキングルートと違う、歴史を感じさせる雰囲気がとても良い。
今でこそ歩きにくく感じる石畳だけど、当時の人にしてみれば現代のハイウェイのような感覚だったんではないかな。
そんなことを考えつつ歩いていると、次第に雲が沸き起こり、涼しくなるとともになんとも幽玄な雰囲気が漂い始める。
苔に覆われた巨石が艶かしい。
時折現れるお地蔵さんたち。みんな優しい顔をしていて癒される。
一度小さなピークを越えて下り始める辺りは、昔から「亡者の出会い」と呼ばれている場所で、なんでもこの場所は死に別れた親兄弟や友人が白装束を着て前方から現れ、すれ違うというところだそうで、薄暗く霧雨に煙る中、そんな場所を一人で歩くのはかなり気味悪く、この世ならぬ者が現れるための舞台装置は全て整った感じ。
そんな中をしばらく歩いていると、前方から年配の夫婦(たぶん)が歩いてきてすれ違う。結局この山の中ですれ違ったのはこの夫婦だけでした。
白装束だったわけでもなく、この世ならぬ雰囲気を醸していたわけでもないけれど、余りにもタイムリーなその出現にはちょっとビックリした。
後で考えてみると、もしかして私の両親が姿を変えて現れたのかも・・・?
顔は全然似てなかったけど、もしそうだったらちょっとうれしいね。
それ以降も断続的に小さな峠が現れる石畳道をひたすら歩き続ける。
途中にあったゴジラの足のような構造の石畳。
なんとも趣のある橋桁。
道中、大昔からの人々の営みを感じさせる跡が色々あって飽きない。楽しい。
終盤、最大の峠である越前峠を越えると、このルート最大の難所と言われる「胴切坂」の下りに入る。
かなりの急傾斜が続く滑り易い石畳は、普通の登山道の数倍の歩き辛さで急速に体力を消耗する。膝の痛みも出始め、かなり辛くなってきたところでようやく胴切坂終了。
胴切坂を下りきるとようやく太陽が顔を出し、紀伊半島らしい湿気と暑さに見舞われ、更に体力が奪われる。
おまけにアブが多く、常にブーンと嫌な羽音に付きまとわれ鬱陶しいことこの上ない。しかも2箇所くらい刺されるし。次回はアブのいない季節に来よう。
いよいよ最終盤、熊野の神々が座って談笑した場所と言われる「円座(わろうだ)石」を過ぎると程なく小和瀬の里に出る。
この時点で昼を少し回ったところで、本当はもう一山「小雲取越」を越えて熊野本宮大社へ出たかったのだけれど、余りの暑さにやる気が失せ、ちょうどタイミング良くやってきたバスに飛び乗って本宮大社へ。
が、本宮大社の本殿は改修中で見られず。残念。
一旦山を下ると、田んぼの中に巨大な鳥居が。
ちなみに、鳥居の下に見える小さなツブツブのようなのが人です。
この鳥居は、明治時代に洪水で流されるまで本宮大社の社殿があった場所だそうで、その敷地跡に最近再建された大鳥居だそうで、近づいてみるとその巨大さに圧倒される。
旧社殿跡地に入ってみると、さきほど参拝してきた新社殿地よりも明らかに土地にパワーを感じる。
涼やかで、清潔で、体の奥から元気が沸いてくるような。早朝の三嶋大社で感じるあのパワーがヒシヒシと伝わってくる。
やはりこっちが本来社殿のあるべき場所なんだろう。
熊野本宮大社からは新宮行きのバスに乗り、熊野川沿いをひたすら南下。
最初は数人居た客も、すぐに近くで全員降りてしまいそこからは終点まで1時間以上ずっと乗客は私一人。
おかげで途中のバス停でちょっと待ってもらってジュース買ったり。
新宮の町の銭湯で汗を流し、名物さんま寿司を買い、
怪しげな雰囲気の徐福公園を探索したりしつつ、
新宮からは特急でピューっと駆け抜けて本日の宿泊地、伊勢市へ。街中の適当なビジネスホテルに投宿、就寝。
なぜ伊勢市かというと、もちろん伊勢神宮を参拝するため。
昨年に引き続き2回目の参拝。
お伊勢さんは3年続けて参らないとダメ、と言われているらしいけど、どうやら達成出来そうだ。
伊勢の町にあるとある店。
親近感。
参拝後は電車を乗り継ぎ名古屋へ。
名古屋と言えばやっぱり「蓬莱軒」!
本当は熱田神宮前の店に行きたかったけど、時間も無いので栄の高島屋に入ってる店舗で。
以前食べた熱田神宮前店の方がもっと美味しかった気がするけど、それでもやっぱり美味しい。
最後は満足満腹で新幹線に乗り、神々の世界から日常の世界に舞い戻り今回の旅は終了。
同時に私の短い夏休み(実質1日)も終了。この後、怒涛の残業&休日出勤地獄が2ヶ月に渡って続くのであった。
by namifujisan
| 2012-03-03 19:13
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